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2006年12月21日 (木)

「意地悪ばあさん」の死を悼む

青島幸男氏が亡くなった。長年、同氏に好感を抱き続けてきた私としては、悲しいニュースだった。追悼報道はおおむね、「政治家」ではなく「タレント」としての青島氏に高い評価を与えている。しかし私は、同氏は骨の髄まで「政治家」であったと思う。

「一匹狼」として権力批判の活動を貫いた、「参議院議員」としての24年間こそ、青島氏が最も輝いていた時間であった。まるで地震計のように「庶民の心」を感知し、それを代弁できる才能は稀有のものだった。その後、行政官(都知事)となってその輝きが曇ったとはいえ、昨今のタレント議員や自称「改革派」政治家と違って、自民党に出たり入ったりするようなことは最後までなかった。小会派「第二院クラブ」の政治家として、最低限の節は守り通したのだ。

私の印象に強く残っているのは、最後の選挙となった2004年の参院選で、30年ぶりに街頭演説に打って出て「反戦」を訴えた青島氏の姿である。そこには時代状況への危機感もあっただろうが、それ以上に「参議院議員」復帰への執念を強く感じた。だからこそ、約60万票を得ながら落選した結果へのショックは大きかったに違いない(当時の記事が示すように)。

残念ながらこの10年間で、日本社会には、かつての青島氏や市川房枝氏のようなタイプの政治家を、正当に評価できる余裕がなくなってしまった。青島氏の「ライバル」・石原慎太郎氏に象徴されるように、権力主義的な政治家であればあるほど世論からバックアップが与えられる。青島氏の死は、「反骨心」「少数意見」がそれなりに尊重されていた、「古きよき時代(=戦後民主主義)」の終わりの象徴なのである。

青島氏のご冥福を心から祈りたい。

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