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2006年12月14日 (木)

「戦後の終わり」、でも日常は続く。

教育基本法「改正」と、防衛庁の「省」への格上げが共に国会で成立しようとしている。戦後の自由主義体制に嫌悪感を抱いてきた勢力の、長年の願いが達成されつつある「歴史的瞬間」である。しかしこうした中でも、意識の中心が職場のゴタゴタに向かってしまうのが歯がゆい。

今日は、昨年まで同じ部署で仕事をした仲間と、組合関係の相談もあってお昼を共にした。彼は今でもその部署に在籍しているのだが、私がいた頃の和やかな雰囲気は薄れてしまっており、組合活動にも支障が生じているようだ。そのことは薄々感じてはいたものの、当時の上司・同僚とは今でも親しく交流しているだけに、何とも複雑な気持ちになった。組織全体に余裕がなくなっているということだろう。

おそらく、日本中の多くの職場で似たような光景が繰り広げられているのだろうが、その結果として人々が「政治的無関心」に陥るとすれば、権力者にとって願ってもない話である。無力な国民が心理的に追い詰められる中、政治家はそれを利用して、自らの目的を着々と達成しているのが実情ではなかろうか。自戒をこめて指摘したい。

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